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名古屋骨董店では、中林竹渓(なかばやし ちくけい)の作品の買取をしております。名古屋市や愛知県、岐阜県、三重県、滋賀県を含む東海地方全域で、中林竹渓の作品をお持ちのお客様に対して、出張買取させていただきます。

愛知県で生まれた中林竹渓は、初め父・竹洞に師事し、後に父の親友である山本梅逸に託され、その指導を受けました。その後、土佐派の画法を学びながら、吉田公均や日根対山と交流を深める一方で、写生に力を注ぎ、蘭画風の要素を取り入れることで、竹洞や梅逸とは異なる独自の画風を確立しました。自由奔放な性格でも知られ、時には尺八を奏でて虚無僧と交流する姿も伝えられています。

名古屋骨董店では、中林竹渓の作品だけでなく、骨董品、絵画、掛け軸、など様々な品物の買取にも対応しています。東海地方にお住まいで、骨董品、美術品の買取をご検討中の方は、名古屋骨董店まで、ぜひお気軽にお問い合わせください。

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中林竹渓の代表作

夏冬山水図屏風京都国立博物館
竹林静居図屏風名古屋市美術館
琵琶湖真景図名古屋市博物館
梅林山水図屏風出光美術館
林和靖図敦賀市立博物館
唐太宗観蝗図福岡市美術館
赤壁賦図ロサンゼルス・カウンティ美術館

中林竹渓の作家人生

文化13年(1816年)、中林竹洞の長男として誕生した竹渓は、幼い頃から父に絵を学び、父子合作の作品も残されています。日本南画の源流である文人画・南宗画は、本来世襲には馴染まない理念を持ちながらも、竹洞は自らの流派を存続させることを望みました。彼の隠遁的な生涯や画論の出版からも、日本における典型的な文人の姿勢を体現した画家といえます。

竹渓は20代の頃、繊細な楷書で「竹谿」と署名し、父の山水画様式を忠実に受け継ぎました。父が60代で完成させた枯淡かつ高潔な画風を継承しようとする意志が見受けられます。一方で、大作が少なかった竹洞に対し、竹渓は屏風絵などの大規模な作品を多く手掛ける点で異なる資質を見せています。

30歳のときに長崎を訪れ、同時期に父の親友である山本梅逸に師事したと考えられます。この頃、竹渓は花鳥画や人物画にも取り組み始め、父や梅逸のモチーフを手本にしながら、それを独自の構成で再解釈し、自らの個性を打ち出しました。

嘉永6年(1853年)に父が亡くなると、竹渓の画風や署名に変化が現れました。南画以外にも円山・四条派、南蘋派、土佐派など多様な画風を学び、写生を積極的に取り入れます。壮年期には復古的な潮流に影響され、加藤清正や楠木正成などの武将を勇壮に描いた作品が多く残されています。

40代後半以降、署名は癖の強い「竹渓」へと変わり、元治元年(1864年)以降には「竹渓有節」と記すこともありました。晩年には文人画風の山水画や中国人物画を再び描きつつ、草花や動物、風景を題材にした作品も多く手掛けています。竹渓の晩年の山水画は煎茶席の掛軸として好まれ、また、日常的な床掛けとして親しまれました。

中林竹渓の略歴 (Nakabayashi chikukei)

文化13年(1816)中林竹洞の長男として名古屋に生まれる
慶応3年(1867年)4月22日死去。享年52

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