川合玉堂の査定、買取は名古屋骨董店にお任せください。

名古屋骨董店では、川合玉堂の作品の買取をしております。名古屋市や愛知県、岐阜県、三重県、滋賀県を含む東海地方全域で、川合玉堂の作品をお持ちのお客様に対して、出張買取させていただきます。
川合玉堂は、13歳で絵画修業を始め、83歳で没するまで70年間日本画に生涯を捧げた画家です。明治、大正、昭和の激動の時代を生き、自然との調和や線と色彩の美を追求する作品で文展や帝展において高い評価を得ました。教育者として後進を育てつつ、「峰の夕」などで独自の画風を確立し、文化勲章を受賞。戦時中も日本画の正常化に尽力し、俳句をたしなむ人柄が作品にも表れています。彼の遺作は、日本画の伝統を伝える貴重な遺産として後世に大きな影響を与えています。
名古屋骨董店では、川合玉堂の作品だけでなく、骨董品、絵画、掛け軸、など様々な品物の買取にも対応しています。東海地方にお住まいで、骨董品、美術品の買取をご検討中の方は、名古屋骨董店まで、ぜひお気軽にお問い合わせください。
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お問い合わせ お気軽にお問い合わせください川合玉堂の代表作
家鴨 | 東京国立博物館蔵 |
二日月 | 東京国立近代美術館蔵 |
溪村春麓図 | 広島県立美術館蔵 |
深山濃霧 | 東京国立博物館蔵 |
行く春 | 東京国立近代美術館蔵 |
悠紀主基屏風 | 東京国立博物館蔵 |
溪山四時図屏風 | 東京国立博物館蔵 |
暮雪図 | 石川県七尾美術館所蔵 |
川合玉堂の作家人生
川合玉堂は、13歳で絵画の修業を始め、83歳で生涯を閉じるまでの70年間、日本画一筋に情熱を注いだ画家です。彼の活動期間は、日本の明治、大正、昭和という激動の時代をまたぎ、その間に日本画壇も大きく変化を遂げました。
愛知県に生まれた玉堂は、芸術的な雰囲気に包まれた家庭環境で育ち、青木泉橋との出会いを経て、望月玉泉の指導を受けながら画家としての基盤を築きました。玉堂の作品は、自然との調和を重視し、線と色彩の美を追求するものが多く、若宮時代には代表作「焚火」や「二日月」を制作しました。これらの作品を通じて、文展や帝展で高い評価を受け、日本画壇において重要な地位を確立しました。
また、教育者として後進の指導にも力を入れ、昭和時代には独自の画風をさらに発展させました。「峰の夕」や「深林宿雪」などの作品は、新たな表現の領域を切り開いたものとして高く評価されています。
文化勲章を受賞した玉堂は、戦時中も日本画の正常化に尽力し、スケッチをもとに自由な発想で作品を仕上げるスタイルを確立しました。さらに、趣味として俳句をたしなみ、その人柄が作品にも反映されています。彼の遺作は、日本画の伝統と美を後世に伝える重要な遺産として、今なお多くの人々に影響を与え続けています。
川合玉堂の略歴 (Kawai gyokudō)
1873年11月24日 | 愛知県葉栗郡(現在の一宮市木曽川町)に筆墨紙商の長男として生まれる。本名:芳三郎 |
1881年 | 家族と共に岐阜市に移住。12歳頃から絵に親しみ始める |
1887年 | 望月玉泉の門に入り「玉舟」の号を得る |
1890年 | 円山派・幸野楳嶺の画塾「大成義会」に入塾し、「玉堂」に改号 |
1896年 | 上京して橋本雅邦に師事 |
1931年 | フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与される |
1933年 | ドイツ政府から赤十字第一等名誉章を授与される |
1940年 | 文化勲章受章 |
1936年 | 帝国美術院の改革案に反対して美術院会員を辞任 |
1957年6月30日 | 死去。享年83。正三位・勲一等旭日大綬章受章 |
玉堂美術館
東京都青梅市御岳に川合玉堂の個人美術館があります。一般財団法人玉堂会が運営し、約300点の作品を所蔵しています。玉堂は太平洋戦争中の1944年に現在の青梅市御岳渓谷に疎開し、1957年にこの地で生涯を閉じました。
没後、個人美術館設立の声が上がり、香淳皇后をはじめ多くの団体や地元有志、玉堂愛好家からの寄付が集まりました。収蔵作品の大半は寄贈されたもので、15歳頃の写生から晩年の作品まで幅広く網羅しています。美術館は1961年4月に竣工し、同年5月に開館しました。