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【森村宜永の大和絵を高価買取|愛知・岐阜・三重で出張買取】
森村宜永(もりむら よしなが)は、明治39年に名古屋市で生まれた日本画家です。東京美術学校在学中から画才を認められ、卒業後は松岡映丘に師事。「砂丘」で帝展に初入選して以来、「爽空」「志摩の磯わ」「採鮑」などを次々と発表し注目を集めました。
森村宜永の作品は、風景画から能を描いた歴史的題材まで幅広く、現在の美術市場でも評価が高く高価買取が期待できる作家です。
名古屋骨董店では、愛知県(名古屋市)・岐阜県・三重県を中心に、森村宜永の日本画・掛軸・屏風などの買取を行っております。出張査定・宅配査定も承っておりますので、売却をご検討の方はぜひお気軽にご相談ください。
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お問い合わせ お気軽にお問い合わせください森村宜永の作家人生
明治39年6月10日、名古屋市に生まれた宜永は、東京美術学校在学中に画才を認められ、名古屋の画家・森村宜稲の娘婿となり「稲門」の号を用い始めました。昭和4年に東京美術学校を卒業後、松岡映丘に師事。同年、第10回帝展に「砂丘」が初入選し、その後も「爽空」「志摩の磯わ」「採鮑」などの作品が連続入選しました。
海辺や水辺の風景を描いた大和絵を中心に制作し、昭和11年には「駿牛」、昭和12年の第1回新文展には「新樹」を出品。義父の死後は「宜永」の名で活動を続け、第3回新文展では「實と花」を発表しました。また、昭和10年に映丘が結成した国画院にも参加しています。
戦後は能を題材にした作品を手掛け、昭和24年以降、日展に「秀吉の能」や「楊貴妃」などを出品。昭和28年には「黒塚」で日本美術協会総裁賞を受賞し、日本画院の新同人に推挙され、後に顧問も務めました。
森村宜永の略歴 (Morimura yoshinaga)
1906年6月10日 | 名古屋市に生まれる。本名:行雄 |
1929年 | 東京美術学校卒業、松岡映丘に師事。第10回帝展に「砂丘」が初入選 |
1949年~ | 日展へ出品 |
1953年 | 日本美術協会総裁賞受賞 |
1988年5月4日 | 死去。享年81 |
森村記念館
森村記念館は愛知県名古屋市東区東桜にある大和絵を中心とした美術館です。漢学者の森村宜民、大和絵画家の森村宜稲(宜民の子)、宜永(宜稲の子)が住んだ旧邸宅を一般公開する形で、1988年に開館しました。館内には、森村宜稲、その妻・紫峰、子の宜永をはじめとする復古大和絵系画家の作品を所蔵。また、日本画に加えて茶道具などの美術品も展示されています。
大和絵(やまとえ)は、日本絵画の一分野で、平安時代に発展した日本独自の絵画様式を指します。「唐絵」(からえ)と対比されることが多く、「陸絵」や「和絵」と表記される場合もありますが、一般的にはひらがなで「やまと絵」と書かれることが多いです。
この絵画は、中世を通じて描き継がれ、近代・現代の日本画にも影響を与えました。狩野派は、大和絵の伝統に漢画の技法を融合させたとされています。やまと絵は、唐時代の着色絵画が日本に伝わり、平安時代の貴族社会で屏風絵や絵巻、肖像画、仏画として発展しました。また、仮名や和歌とともに日本文化の基盤を築き、その伝統は中世以降も受け継がれています。