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お問い合わせ お気軽にお問い合わせください田能村竹田の代表作
東山図 | 出光美術館蔵 |
木米喫茶図 | 出光美術館蔵 |
亦復一楽帖 | 寧楽美術館蔵 |
柴門新月図 | 藤田美術館蔵 |
梅花書屋図 | 出光美術館蔵 |
村居曉起図 | 出光美術館蔵 |
潤道石門詩意図 | 大分市美術館蔵 |
田能村竹田の作家人生
竹田は、竹田村(現在の竹田市)の岡藩の田能村碩庵の次男として生まれました。家計が苦しい状況でしたが、幼少時から学業に励み、藩の学校に進学し、優れた成績を収めました。唐橋君山に詩才を認められ、竹田社や米船社に加わりましたが、その後耳病や眼疾に苦しむことになりました。
20歳頃からは地元の画家に師事し、江戸では谷文晁からの通信教育を受けました。22歳で藩の学校に出仕し、後に頭取にまで昇進しました。医業を離れて学問に専念し、『豊後国志』の編纂にも携わりました。
1801年には江戸に下り、編纂事業の準備を行い、その後は各地を旅し学び、多くの文人と交流しました。文化8年には専売制度に反対する建言書を提出し、文化9年には辞表を提出して致仕しました。その後も豊後と京阪を行き来しながら、多くの知人と交流を深めました。1835年には大坂で亡くなり、享年59歳でした。
竹田は豊富な著作を残し、特に『山中人饒舌』や『屠赤瑣瑣録』、『竹田荘師友画録』は高い評価を受けています。彼の絵画は、様々な画風を取り入れながらも、詩的な自由世界を追求し、晩年には繊細で味わい深い作品を生み出しました。
竹田は自らの生涯を通じて、生きることへの切実な思いを絵画に表現し、自己の芸術的自我を追求しました。彼の作品には、身の周りのさまざまな事象が詰まっており、個別な事象を通じて多様な意味を表現しています。竹田の絵画は、彼自身の生き方や思想を映し出すものであり、自己と他者との関係を通じて彼の芸術性が形作られています。
田能村竹田の略歴 (Tanomura chikuden)
安永6年(1777)6月10日 | 豊後直入郡竹田村に岡藩侍医の次男として生まれる |
天明7年(1787) | 藩校由学館に入る |
享和元年(1801) | 江戸へ向かう途中、大坂で木村蒹葭堂と会い、江戸では谷文晁を訪れる |
文化2年(1805) | 眼病の療養を兼ねて長崎や京都へ遊学し、詩学に志を立て、隠居を決意する |
文化4年(1807) | 京都で上田秋成を訪ね、冬には大坂の持明院で浦上玉堂と同宿し、岡田米山人らと交流する |
文化8年(1811) | 大坂で頼山陽に会い、7月には野呂介石を和歌山に訪ね、帰藩後に百姓一揆を受けて藩に意見書を提出する |
文化10年(1813) | 隠居し、以後は旅に出ては帰藩する生活を始める |
文政元年(1818) | 頼山陽、竹田村を訪れる |
天保6年(1835) | 『山中人饒舌』が刊行される。7月には高熱を出し、8月29日に亡くなる。享年59歳 |
旅と知友との交遊
文政9年(1826年)の長崎での遊学中、舶載の中国画を見て、竹田はある種の失望を感じ、それ以降、雨や風などの現実を描くようになりました。現実に対する関心が美的な信念として確固たるものになり、新たな自覚を強めたころから、竹田はほぼ毎年、郷里の九州から京都に向けて旅に出ます。これは、知友である頼山陽らとの交流のためであり、また「万里の道を行く」旅の経験と画作の意味が重なり合う貴重な時間でもありました。
この時期、竹田は以前には見られなかった旅を主題とした絵画を多く描くようになりました。旅先での思いを、実際の旅先でのスケッチという枠組みの中に描くのです。あるいは、思念の中の個別の事象や自然界の具体的な事象を、まるで旅先の光景のようにひとつひとつ丁寧に描き出すようになったのです。つまり、現実を描くという経験に基づいて、自らが描く絵画に芸術としての独立性を与えようとしたのだと思います。青年期に培われた絵画への素直な思いが、その描写態度の中でいよいよ結実に向かったのです。
竹田の芸術は、知友である頼山陽との交流の深まりに合わせ、加速度的に洗練されていきました。天保元年(1830年)以降、彼は代表作となる作品を次々と発表しました。この時期、彼は多くの知友を得て、多くの思いを抱き、多くの絵画を描きました。また、画論書も執筆しました。学者としての知性、旅を愛した自由、多くの友を得た誠実さ。江戸時代、日本においては最も文人画家らしい存在と評される竹田の真髄が、いよいよ輝きを放ち始めたのです。しかし、その絶頂は、彼を支えてきた最大の友である頼山陽の死去という、悲しみの時期に訪れることになりました。
田能村竹田の買取
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田能村竹田は頼山陽との芸術的交流に彩られた生活の中で多くの作品を残しました。旅を愛し、知友との交遊を作品の中に表したのです。頼山陽の死後、竹田の内面で明確な変化が見られました。この時期、竹田は新たな友人である大塩平八郎と出会います。この新たな友人との交流が、彼を新たな表現へと導いたのです。しかし、竹田は間もなくして亡くなってしまい、新しい様式の完成を見ることはできませんでした。もし彼がもう少し長く生きていれば、どのような芸術が生まれたのか、我々は知ることができたでしょう。
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