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お問い合わせ お気軽にお問い合わせください池大雅の代表作
児島湾真景図 | 細見美術館蔵 |
陸奥奇勝図巻 | 九州国立博物館蔵 |
三岳紀行図 | 京都国立博物館蔵 |
十便図 | 川端康成記念会蔵 |
柳下童子図屏風 | 京都府蔵(京都文化博物館管理) |
楼閣山水図屛風 | 東京国立博物館蔵 |
竹里館図 | 出光美術館蔵 |
池大雅の作家人生
享保8年(1723年)に、京都銀座の役人の下役の子として生まれた大雅は、幼少期に父を早くに亡くし経済的な苦境に立たされました。しかし、6歳の時に素読を始め、7歳からは本格的に唐様の書を学び始めました。初めて書を披露した際には、その出来栄えが僧たちから称賛され、「神童」と呼ばれました。
柳里恭(柳沢淇園)によって才能を見出され、文人画を伝えられた大雅は、中国の故事や名所を題材とした大画面の屏風から日本の風景まで幅広い作品を生み出しました。彼の作風は変化に富み、中国の画譜だけでなく室町絵画や琳派、そして西洋画の表現を取り入れ、独自の画風を確立しました。
川端康成の蒐集品として有名な「十便十宜図」は、山荘での隠遁生活の便宜を描いた作品で、大雅と蕪村が共作したものです。大雅は「十便図」を担当しました。この作品は、文人の理想とする俗塵を離れた生活を上品かつ軽妙な色彩で表現しました。
色彩効果を重視する画家を指す「カラリスト」という言葉は、主にヨーロッパの画家に対して用いられますが、大雅もそのように評されることがありました。彼の作品は、中国絵画の伝統的な濃い色彩から西洋絵画の水彩風の淡い色感まで幅広く表現しています。
特に注目すべき作品の一つは、「柳下童子図屏風」で、木橋の上で渓流に住む魚を捕まえようとする子供たちが描かれています。清流の水面に映る柳の葉は美しい緑色で、清らかな水の色に淡く青く映し出されています。
大雅の色彩感覚は、文人画にとどまらず、日本絵画全体で群を抜いて豊かです。彼の作品は、その色彩表現への強いこだわりが反映されています。
池大雅の略歴 (Ikeno taiga)
享保8年(1723)5月4日 | 京都に生まれる。幼名:又次郎 |
享保14年(1729) | 清光院一井に師事して書を学ぶ |
元文2年(1737) | 父の名・菱屋嘉左衛門を襲名 |
元文3年(1738) | 彫印店「袖亀堂」を開く |
寛保2年(1742) | 聖護院に転居。名を勤、字を公敏と改める |
寛延元年(1748) | 富士登山、江戸、日光、松島へ旅する |
寛延2年(1749) | 画家の高芙蓉と北陸へ旅する |
宝暦10年(1760) | 三岳紀行の旅に出る |
明和5年(1768) | 『平安人物志』の書家と画家の部に名前が載る |
安永5年(1776)4月13日 | 死去。寺之内千本通の浄光寺に葬られる |
影響を与えた文人画家
重要な文人画家として、祇園南海(一六七七〜一七五一)と柳沢淇園(一七〇四〜五八)の二人が挙げられます。南海は紀州藩に仕えた儒者で、元禄二年(一六八九)に将軍徳川綱吉に招かれ、江戸の木下順庵の門下生となりました。彼は詩人としても注目され、絵画においては詩と画のバランスを大切にしました。一方、柳沢淇園は大和郡山藩の家老であり、学識に優れ、広範な教養を持ち、中国の宮廷趣味が反映された濃彩の花卉図を得意としました。淇園の生き方はまさに文人の姿そのものであり、後の文人画家にも影響を与えました。
池大雅の買取
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池大雅は旅する中で得た実感をリアルな風景に込める書家であり画家でもありました。このアプローチによって、知行合一の世界観が映し出され、その魅力が際立ちます。彼が残した作品には、旅先で得た実感が込められており、「真景図」と呼ばれるものが多く見られます。これらの作品は、風景を単に写し取るだけでなく、旅の経験から得た感動や気持ちが色彩や筆致によって表現されています。
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