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呉美人図

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長沢蘆雪の代表作

呉美人図東京国立博物館蔵
虎図和歌山県・無量寺蔵
牡丹孔雀図逸翁美術館蔵
山姥図広島県・厳島神社蔵
海浜奇勝図屛風メトロポリタン美術館蔵
薔薇蝶狗子図愛知県美術館蔵
一笑図同志社大学文化情報学部蔵
隻履達磨図豊橋市美術館蔵

長沢蘆雪の作家人生

芦雪は丹波国篠山で生まれました。彼が南紀に滞在していた際に、自分の父が最初に篠山城主である青山下野守(青山忠高)に仕え、その後山城国の淀藩で上杉彦右衛門として働いていたと述べた記録が残っています。同時代の他の著名な画家に比べて、彼の経歴を示す記録は少ないため、いつ応挙の弟子になったのか正確には分かっていません。しかし、彼が25歳のときに描いた「東山名所図屏風」(1778年、紙本銀雲淡彩六曲一隻、個人蔵)から、彼がすでに応挙の弟子であったことがわかります。また、この作品の落款からは、彼が応挙に入門する前から既に十分な画力を持っていたことが示されています。

33歳のとき、彼は応挙が約束していた大津波で破壊された後に再建された無量寺の本堂に飾るための絵を、応挙の指示で愚海和尚と共に紀州の無量寺へ届けました(1786年から1787年)。その際、彼は多くの障壁画を残しており、特に無量寺の「龍虎図」は彼の傑作の一つとされています。現在、串本の無量寺、古座の成就寺、富田の草堂寺、田辺の高山寺には合計で180面の障壁画が残っており、無量寺には応挙芦雪館が設けられています。

長沢蘆雪の略歴 (Nagasawa rosetsu)

宝暦4年(1754)丹波国篠山に生まれる
安永7年(1778)『東山名所風俗図』を円山応挙の家で描く
天明元年(1781)『猛虎図』この頃京都に住む
天明3年(1783)妙心寺海福院斯経の庵の白壁に黒龍図を描く
天明7年(1787)和歌山の田辺に滞在し、『雪山之大幅』などを描く
寛政2年(1790)応挙一門での合作『遊魚図襖』
寛政6年(1794)広島に滞在し、『宮島八景図』などを描く
寛政7年(1795)兵庫・大乗寺の障壁画を応挙一門で制作
寛政9年(1797)厳島神社に絵馬『山姥図』が奉納される
寛政11年(1799)6月8日享年46歳

画風と署名について

後半期の寛政年間には、蘆雪の署名と印章に大きな変化が見られます。蘆雪の作品には制作年が明記されているものが少ないため、この変化によって彼の作品群の大まかな年代別位置づけが可能になります。具体的には、紀南での作品に見られる楷書に基づく署名から、より流動的で草書を基にした個性的な署名への変化が見られます。例として、寛政元年(1789年)の作品、特に薬師寺の襖絵などには草書が用いられていますが、これはまだ一般的な草書の範囲内です。しかし、寛政六年(1794年)の冬に広島で描いた作品では、完全に独自のデザイン化されたスタイルに進化しており、晩年までこのスタイルが三つの異なるバリエーションを見せながら続きます。

長沢蘆雪の買取

名古屋骨董店では、長沢蘆雪の作品の買取をしております。名古屋市や愛知県、岐阜県、三重県、滋賀県を含む東海地方全域で、長沢蘆雪の作品をお持ちのお客様に対して、出張買取させていただきます。

18世紀の江戸時代を象徴する画家、長沢芦雪は、愛らしい子犬から力強い龍や虎、さらには少し色気のある幽霊画に至るまで、多岐にわたる主題の絵画を手掛けました。彼の自由奔放な性格が反映されているとされ、1786年から1787年にかけて南紀に滞在した際には、師匠の円山応挙の画風を離れ、独自で大胆な作風の障壁画を数多く制作しました。現在も無量寺をはじめ、古座の成就寺や富田の草堂寺に合わせて180面の障壁画が残されています。

名古屋骨董店では、長沢蘆雪の作品だけでなく、骨董品、絵画、掛け軸、など様々な品物の買取にも対応しています。東海地方にお住まいで、骨董品、美術品の買取をご検討中の方は、名古屋骨董店まで、ぜひお気軽にお問い合わせください。

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