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宜曉図

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与謝蕪村の代表作

蘇鉄図屛風妙法寺蔵(香川県)
十宜図川端康成記念会蔵
闇夜漁舟図逸翁美術館蔵
富嶽列松図愛知県美術館蔵
峨眉露頂図巻東京黎明アートルーム蔵
若竹図愛知県美術館蔵
竹溪訪隠図京都国立博物館蔵
奥の細道図巻京都国立博物館蔵

与謝蕪村の作家人生

摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)で生を受け、谷口家に引き取られた与謝蕪村は、幼少期を京都府与謝野町で過ごしました。その後、20歳の時に江戸へ下ると、俳諧を学ぶために早野巴人に師事しました。しかし、江戸の俳壇が低俗化していたため、芭蕉のような純粋な俳句作りを憧れていました。

蕪村は放浪の旅に出て、芭蕉の足跡を追いながら東北地方を巡りました。その後、結城の砂岡雁宕のもとで修行し、俳号として「蕪村」を名乗りました。京都に戻り、丹後の宮津や与謝野町で滞在しながら、俳画を確立し、多くの作品を残しました。

蕪村の作品は、様々な画風を持ち、その中には親しみやすさとあたたかさが感じられます。彼の評価は死後100年経ってから高まり、現在では芭蕉や一茶と並んで、江戸期の俳諧の三大巨匠として知られています。

与謝蕪村の略歴 (Yosa buson)

享保元年(1716)摂津国東成郡毛馬村に生まれる
元文2年(1737)日本橋本石町の俳人、夜半亭巴人に入門
延享元年(1744)初撰集『寛保四年宇都宮歳旦帖』を刊行。蕪村を名乗る
宝暦4年(1754)『夜半亭発句帖』に発句一句および跋文を寄せる
明和3年(1766)俳諧結社「三菓社」結成
明和7年(1770)巴人の後継者に推されて夜半亭二世を継ぐ
明和8年(1771)池大雅との合作『十便十宜帖』を揮毫
天明3年(1783)12月25日享年68

好敵手、大雅と蕪村

画家の田能村竹田は、池大雅と与謝蕪村を比較し、「大雅は常道に従いながらも正確性を欠く。一方で蕪村は非常道的でありながらも誘発性を持つ。しかしながら、ふたりとも道を追求し、優れた競争相手である」と述べました。竹田はまた、「大雅は逸筆であり、蕪村は戦筆である。しかしながら、ふたりともに古典に学ぶところがある」とも述べており、大雅の簡潔で流暢な画風や蕪村の動きのある筆致を指摘しています。

それぞれの生き方を反映したふたりの芸術は対照的ですが、竹田は蕪村の作品に大雅以上の新しさを感じ、彼の現実肯定的な表現が新しいと評価しました。竹田は非常道的な蕪村の芸術を判断しましたが、芸術的な優劣を短絡的に批判するのではなく、ふたりの対照的な姿勢にある美的特質を評価しています。蕪村の作品には時間の経過や遊び心があり、竹田の目にはこれらが新しく映りました。彼の指摘は蕪村の現実肯定的な美学を再確認させます。

大雅と蕪村は芸術志向が異なりますが、それぞれの生き方は十分に作品に表れています。彼らは同じ時代に京都に在住していましたが、お互いにはほとんど接点がありませんでした。しかし、彼らの唯一の合作である「十便十宜帖」は日本文人画の最高傑作となりました。そこではふたりの個性が鋭く対立していますが、お互いに対立することなく、美の探求における自由が共有されています。

池大雅についてはこちら

与謝蕪村の買取

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耳に心地よい言葉で日常の感覚を詠った俳人として称賛される蕪村は、松尾芭蕉を尊敬し、20歳頃に江戸に下り、夜半亭巴人の門人となりました。巴人没後は、結城の砂岡雁宕ら巴人門下の縁故を頼り、約10年間にわたって常総地方を旅しました。その後、宝暦元年に上京し、丹後や讃岐に数年滞在しました。明和7年には、巴人の後継者として夜半亭二世を継ぎ、その功績は高く評価されました。蕪村の俳風は、その時々の自然界に寄せられた自身の真情を、分かりやすくて耳に心地よい言葉で表現しました。そしてそこには、蕪村の生活の感覚が取り入れられていました。

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