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山水図

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雪舟の代表作

山水図京都国立博物館蔵
達磨図東福寺蔵
瓢鮎図退蔵院蔵
湖亭春望図吉川資料館蔵
溌墨山水図正木美術館蔵
全岩東純像瑠璃光寺
梅潜寿老図東京国立博物館蔵
四季花鳥図屛風東京国立博物館蔵

雪舟の作家人生

雪舟は1420年に備中国赤浜(現在の岡山県総社市)の武家・小田氏の家に生まれました。若い頃から京都の相国寺で禅宗の修行と絵画の勉強を始め、春林周藤や天章周文から指導を受けました。その後、周防国に移り大内教弘の庇護のもとで活動し、1464年頃から「雪舟」を名乗り始めました。彼は1467年に中国へ渡り、宋・元時代の画家から影響を受けながら本格的な水墨画を学び、この経験が後の作品に大きく反映されました。

帰国後、雪舟は日本各地を旅しながら多くの作品を残し、特に『天橋立図』などが有名です。彼の画風は独特の水墨山水画を確立し、日本中世の水墨画の大成者と評されます。晩年は山口や石見で過ごし、1506年に87歳で亡くなりました。雪舟はその生涯を通じて、破墨や溌墨などの技法を駆使し、日本画の伝統的な画題を新しい表現で描き出しました。

雪舟の略歴 (Sesshu)

応永27年(1420)備中国赤浜に生まれる。宝福寺に入る
永享2年(1430)京都・相国寺に入る
康正2年(1456)山口へ移る
長禄元年(1457)拙宗から雪舟に改名する
応仁元年(1467)遣明使船で中国の明に渡る
文明元年(1469)帰国後、山口から豊後へ向かう。『安世永全像』を描く
文明13年(1481)美濃へ旅し、正法寺で萬里集九らと交遊。駿河、加賀などにも足を延ばす
文明18年(1486)『四季山水図』を描き、大内政弘に献上する
明応4年(1495)『破墨山水図』を描き、如水宗淵に与える
文亀元年(1501)『天橋立図』を描いたとされる
永正3年(1506)死去 ※諸説あり

中国への旅

1467年、48歳の雪舟は守護大名の大内氏の後援を受けて遣明使の一員として中国への旅に出ました。遣明使は主に貿易目的の外交使節団であり、団員には漢文や中国語に堪能な禅僧も多く含まれていました。出発時は応仁の乱が始まったばかりで、同じ使節団内には敵対する大名の代表もいたため、非常に複雑な情勢の中での航海となりました。

中国の寧波に到着後、雪舟は天童寺で「首座」という名誉ある称号を授かり、これを非常に誇りに思いました。北京への長い航路の後、雪舟は皇帝の拝謁や貿易交渉に参加し、壁画を描くなどの文化活動にも携わりました。交渉は難航したものの、雪舟はこの旅を通じて多くの中国古典画を研究し、自らの画風に大きな影響を受けることとなりました。

帰国後、雪舟は京都の風景とは異なる中国の自然や文化からインスピレーションを受け、日本における水墨画の新しい流れを築く手助けをしました。この経験は彼の後の作品に生かされ、雪舟は後に多くの名作を残すことになります。

雪舟の買取

名古屋骨董店では、雪舟の作品の買取をしております。名古屋市や愛知県、岐阜県、三重県、滋賀県を含む東海地方全域で、雪舟の作品をお持ちのお客様に対して、出張買取させていただきます。

雪舟は禅僧であり画家であると同時に、旅の芸能者としても活動し、政治と文化の双方で役割を果たしていました。彼の旅は表向きは文化的なものでしたが、それを通じて地域の情報を得たりするなど、複雑な時代の流れの中で重要な橋渡しをしていました。

名古屋骨董店では、雪舟の作品だけでなく、骨董品、絵画、掛け軸、など様々な品物の買取にも対応しています。東海地方にお住まいで、骨董品、美術品の買取をご検討中の方は、名古屋骨董店まで、ぜひお気軽にお問い合わせください。

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